2004年12月18日
親離れ
今でも理屈っぽく考えることはとても大事だと思っているのだけれども、ただこれまでの僕の意見・発言は「全体の利益のため」ではなくて「理屈っぽく考えたいという自分の欲求のため」だった点が多々あるなぁ、と最近心底感じるようになった。以前は、多少うかつな意見でもそれがきっかけになって議論が盛り上がればやがて落ち着くところに落ち着くのだから発言しないよりはいい、と信じていたのだけれども最近はあまりそうは思わなくて、全体のバランスを十分考慮した上で発言した方が(全体の利益のためにも自分の名誉のためにも)望ましい、と思うようになった。これは自分的にはなかなか大きな成長なんです。いろんな忠告をくれた皆様にスペシャル・サンクス。そしてプラウド・オブ・マイセルフ。
今思えば「理屈」を採用したのは、ときに感情的だった母親に対抗するためだったかなぁと。もちろん理屈で反論したら解決するどころか全くの逆効果だったけど(笑)。大学から名古屋ってのも彼女から離れたかったってのが大きい。積極的に解決しようとせずに逃げちゃっていいのかなぁって懸念もあったけど、距離を置くことにも意味がありそうだったし、すでに疲れていたから。でもこうして何年も離れているとお互いの嫌な面は見えなくなって、今では久しぶりに会うと以前より良好な関係を築けてる気がしてる。と同時に対抗手段だった「理屈」は不要になって、気づいたら別に対抗手段なんて必要ないはずのテニス部でそれを振り回していたという。
引退した立場からテニス部について考えたり、追いコンの日程調整などで同級生と久しぶりに議論したり、ポリクリ班の友だちに迷惑かけて反省したり、社会問題であると同時に自分自身の問題でもある医療問題について考えたりする中で、今日書いたようなことに気づくことができました。
12/18 20:22 | 今日のDすけ
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