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2005年1月 5日
誤った認識
テニス部について考え、発言することにそれなりの時間と労力を割いてきた割りに、それに見合った成果を上げられなかったのは、ひとえに僕の話し合いに対する誤った認識によるものと反省しています。
僕が僕自身のことについて理屈っぽく考えるのは僕の勝手でしょう。でも同じようにテニス部(という自分以外の多くの人間を含む集団)を理屈で捉え、しかもその結果を他の人に押しつけたとしたら、そりゃ嫌がられるし、ほとんどの人は協力したいとは思わないでしょう。
1.見下した言い方
理屈っぽく考えて、あるもっともらしい結論に達したとき、人は高みに上って、優越感を持って、見下すように発言することがあります。少なくとも僕にはそういうところがありました。「ほら、これについてはこうでしょう!なんでこんな簡単なことがわからないの。さっさと僕の考えに従ってこうするべきなのにもう…」でもこんな風に言われて、快く受け入れる人なんてほとんどいませんよね。僕だって逆の立場ならそうだと思います。なのに僕はこの調子でをやっていたのです。確かにテニス部について考えることに時間と労力を惜しまなかったのは事実ですが、それとこれとは別ですよね。
2.理論的な正しさ
実は最近になってようやく「世の中理屈じゃない」ってことを実感しています。今までは「自由と公平と民主主義こそ大事なのだ!」と思って、テニス部にもそれを当てはめて考え、何かを話し合うときには「いかに正しいか」こそが重要であり、自分の意見が論理的に正しいことを証明すれば、みんなは否応なく従ってくれるものと本気で思っていました。(もちろん相手の意見が正しいことが証明されれば、それに従うつもりでした。)だからこそ、たいして人と直接話すことをしなくても、ホームページ上に意見を公開さえすれば、あとはみんなが勝手に(しかし自分から)それを読んで、「正しい」と認めてくれて、話が勝手に進んでくれるだろう、そうでないはずがないと待っていたわけです。
でも実は、単に僕が「論理的な正しさ」を重要視する人間だというだけであって、他の多くの人たちはそんなことにはたいして興味なくて、だからといってその人たちが間違っているということでもなくて、つまり「理論は全ての人に共通である」という認識は、実は僕の勘違いだった、ということでしょう。
これらの発見によって僕の考え方は大きく変わりました。今までは、自分の正しさをアピールすることに専念していればよかったわけですが、これからは、正しいと思うがゆえに高圧的になってしまわないように注意し、それでもしうまい具合に伝えられたとしても正しいだけではダメで、さらに直接の対話によって他の人1人1人の希望や不満を聞いたりしながら誠意を持って地道に運動していかなければダメなのだなぁ、といったところです。
01/05 01:07 | 今日のDすけ
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