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2007年10月 2日

内科ローテーション

ちょっと落ち込んでいるのかも知れない。過去に目が向くのはたいていそういうときだ。でもそんなときはそうしておこう。O先生には女々しいって笑われるかもしれないけど、まぁオレなんてそんなもんだ。

最初はJ内科。“歩くハリソン”(内科学の教科書)ことM先生との出会い。「大変なやつが来るって聞いたから(おそらくS太郎さんから)どんなやつかと思ってたけど、まあ内科でやってくには問題ない(そこまでやばくはない)でしょう」と言ってもらえてほっとした反面、「当初はそんなに心配されてたのか」とぞっとしたものだ。でもそれ以来とってもかわいがってもらっていて…よくよく考えると理由が見当たらない…仕事で役に立ったわけではないし…思い当たることといったら飲み会の出し物とこのブログくらい…こりゃもう一生おどって、一生書き続けねばなるまい。ちなみにいまだに腎不全にARBどう使ったらいいかよくわかんないし、透析も組めない…電解質は大好きだけどね。

ICUローテをはさんでK内科。肝心の血液疾患に関しては診断、治療、抗菌薬、、、結局何にもわからずじまい…。学んだことといえば“K内科の患者には敗血症、心筋梗塞、急性膵炎、消化管穿孔、、、何でも起こり得る!”ってことと“白血球が少ないと感染症はどうにもならない…”ってことくらい…。そうかねー。病棟には馴染めたけどね。あとこの頃から、病院に泊まり込むようになった気がする。

N内科。膵癌、膵癌、膵癌、胆石胆管炎+膵炎、潰瘍性大腸炎、、、内分泌なのに外分泌ばかりだったのが1つ目。いつも準備不足でカンファを迎えてしまい、3年目にもなって顰蹙を買ってしまったってのが2番目。T先生とよく夜ご一緒したのが3番目。馴染みの看護師さんに「指示が分かりにくい」「説明が分かりにくい」と散々こき下ろされたあの頃。

S内科。重症細菌性髄膜炎の20歳男性は死んでしまった。「死んでしまうくらいなら多少の後遺症が残ってでも」って言えるのは確かに結果論なんだけど、でもやっぱり、ガイドラインに反しても、保険適用外でも、エビデンスがなくても、どんなことをしてでも助けなきゃいけなかった。あのときああしておけば、ってのがたくさんある。彼は妹と同い年だったんだって気づいたのは亡くなった後。一生忘れることのできない症例。いつか克服できる日が来るのだろうか。Tぼいに「うちの病院の誰が診ても助けることはできなかったんじゃないの?」と言われて少し救われたけど、今でも涙が出てくる。(あと彼につきっきりで他の患者がいい加減になってしまってごめんなさい…)

そしてもうひとつのK内科。内科病棟にも慣れてきた今日この頃。中心静脈カテーテル=重症ととらえるなら、重症患者ばっかりだ。それだけ任せてもらえてる反面、やっぱりやり切れてない。病棟の看護師にも迷惑をかけてばかりだ。(看護師さんとおしゃべりする以外は)特に手を抜いてるつもりはないんだけど、仕事が終わらん。

──放っておいていいところにつきっきりになっているってのはある。(みんなががんばってた)研修医時代に“引き引き”で“逃げ”の姿勢だったせいで、いまだに“感覚”がつかめてないのだ。「このくらいの重症度ならこのくらいでいい」「この薬を使えば翌日にはこうなる」、、、そういうのがつかめてないから臨時指示(例えば尿量がこのくらいだったらこのくらい点滴して利尿薬をこのくらい使ってね、っての)を出して帰ることができない。だからずっと病院にいてしまう(別に病院が好きなわけじゃない!)。(自分には必要なんだけど他の人からしたら)余計な検査も増えてしまう。「ずっとベッドサイドにいればいつかつかめるさ」って楽観する反面、もっと先輩や教科書から知識を付ける方が早いんじゃないか、どっかで患者の体力と看護師を信じて「えいやっ」とやらないといけないんじゃないか、てゆうか3年目でこんなんでいいのか、って焦りはある。

楽しいっちゃ楽しいけど、楽しいことやってるだけじゃだめで、もっと外来まわして、期限までに当番表や書類を作って、後輩の指導もしなきゃいけないよね。もうすぐFIX(消化器内科に進む!)だし、がんばらないとなぁ。

10/02 00:38 | 医療/仕事

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