03/05 西医体支持

というわけでスタートラインに立った今からは、できる限り公平な視点でテニス部を見ていくぞと。

名大医学部テニス部入部した頃の話、オレはそれまでテニスなんて体育の授業で3、4回やった程度で、テレビですら観たことなかった人だから、西医体の声出し見ても違和感なかったし、むしろ中学校のときのバレーボール部で野次ってゆうか大声出しまくってたからすんなり馴染めた。しかしながらそれまでテニスをやっていた人にとっては、紳士的なスポーツなはずのテニスで大声出したり、野次ったり、コートに入ったりってのはびっくりだろう。Hせべが嫌悪感を示していたのも納得できる。4年生のときの医歯薬未消化ではおばさんに、去年の四校戦では通りすがりのおじさんに、そして祝勝会では大先輩のHずみ先生に指摘されたよね。でも変えれない。そういう伝統なんだ、と納得しちゃってる。なんでだろう?

1つには他の学校がやっているから。相手が大声出してる一方でこっちが静かにやってたら、雰囲気的に圧倒されて飲み込まれちゃうだろうし、さらに相手が野次ってきたときには選手は動揺しちゃって、とてもいいプレイできなくなっちゃうんじゃないかな。実際2年生のときの医歯薬で、Tじうち+Hせがわペアが浜医に野次られているのはかわいそうなうらいで、大声出して「声の壁」を作って野次が聞こえないようにしたり、相手と選手の間に立ちはだかって相手のバカにした仕草が見えないように気を配ったものだ。

2つ目には応援の力。本来的には選手の実力で勝敗をつけるのがいいのかも知れないけど、こないだUしさんが言っていたように、「連呼されると選手が強くなる」という現実。Tじうち的には「声の大小の問題ではなく、まわりに人がいるというだけで、ふざけたプレイはできないな、と身が引き締まる」んだそうだ。(というわけだから逆に応援の人がコートでふざけてたらそりゃ困るだろう)

そして3つ目。応援でもしてないと選手以外の人の存在意義が危うくなってしまうから応援する。1つ目と2つ目は選手のための応援だったけど、別に選手のためだけに応援するのではなくて、自分のために応援するという考え方。レギュラーが、テニス部のためにがんばることを通して、自分がテニス部員であることを確認しているとしたら、同時にイレギュラーもまた、自分がテニス部員であることを確認するために何かに打ち込む必要に迫られるわけで、そしてそれが応援なんじゃないかなぁ。

いずれにしても、自分が試合するわけでもないのに試合会場にいるなんて、単純に考えたらこれほど不思議なことはない。でも不思議とはいえ、来ちゃったんだから仕方ないとも言える。それなら、こないだの反省会で言ったように「来ちゃったからには不貞腐れてないで前向きに開き直って声出しちゃおうよ」って話になる。

でもってなんで来ちゃったかといえば、理論上は「自分が所属しているテニス部の代表であるところの選手が試合をするから応援しないわけにはいかない」からかな。オレは「自分のために/好きだから/やりたいからやる」のを理想に掲げてるけど、選手の中には「他人のため/辛いけど/逃げたいけどやっている」人ももしかしたらいるのかも知れない。おかしいとは思う。でも1つの現実として受け入れようと思う。辛いことなのにがんばっている人がいて、その人たちは「テニス部の代表」としてがんばっているのなら、同じテニス部に所属している自分が、応援しないわけにはいかないなぁ、というある種の義務感。もちろんオレは義務感から行動するのはすごく嫌いなんだけど、でも嫌いではあるけどこれもまた1つの現実として受け入れようと思う。そうして2つの矛盾というか理不尽というか納得いかない点を受け入れて、その先に何があるのだろうか?

オレと1つの結論として、そこにあるのは「人と人のつながり」だと思う。逆に言えば、人と人のつながりを求めることができるなら、オレにとって優勝なんてどうでもいい。だから西医体を否定しても構わないと思った。代替案を用意すればよかった。そしてそれがサークル化だった。仮に西医体優勝(に向けて一丸となること)によって人と人のつながりが強固になるとしても、西医体への参加を苦痛に感じる人が出てくるのなら、それはよくない方法であって、もっと別の方法で人と人のつながりを作った方がいい。例えばサークル化なら多くの人が苦痛を感じずにそれが実現するのではないか、そう考えた。

でもいろいろ検討してみたところ、サークル化が一番、ということでもなさそうだ。やはり求心力が弱過ぎる。サークル化して、今よりも自由になった場合、それは畢竟人と人のつながりの希薄化をもたらす。極端な話、全てを自由にした場合、強制なら何とか都合つけられるようなほんのちょっとした用事でさえも、それを理由に正規練に来なくなってしまう人も出るだろう。それじゃあ何のために緩めたのかわからなくなってしまう。厳し過ぎて退部する人がいるのは残念だから緩くしてみんながテニス部にいれるようにしよう、というのがサークル化の目的のはずだ。

そんなようにして「サークル化」に対して自信を失ってしまった今、オレは他の選択肢を用意する事ができなくなってしまったから、消極的ながら西医体を支持することにした。ただし条件がある。西医体を目的にしてはいけない。あくまで目的は人と人のつながり。西医体はそのための手段に過ぎない。「サークル化」という手段では無理そうだから、代わりに「西医体」という手段でそれを目指す。そこにはいくつかの矛盾があることを認識しなければならない。だから「西医体は絶対、試合の応援は当たり前」なんて傲慢な勘違いしてはいけない。それをやるからレギュラーとイレギュラーを対立させて考えてしまうんだ。