02/11 テニス部の起源

伝統にこだわる方ではないのだけれども、やはりテニス部には伝統というか歴史があるわけで、少なくともテニス部がどうやって始まったのか知りたいと思って、これはどこかのOBの先生のところにお話を伺いに行かなきゃダメかなぁ、と思いつつ、ふと毎年保存してある部誌をめくってみたところ、何とびっくりM島さんたちが作った2000年度版にものすごい投稿が寄せられていた。昭和62年卒業の長澤丘司先生(現在京都大学再生医学研究所生体システム制御学分野教授)の文章を許可とってないけどまぁいいだろうという判断で引用。
私が入学した当初、名古屋大学医学部の学生がテニスを組織の中でやる場合、全学体育会テニス部か、同好会しかありませんでした。つまり、名古屋大学医学部テニス部は名ばかりで、活動は西医体の前に数週間、全学テニス部の医学部生が集まって練習するのみでした。そしてその全学テニス部の医学部生は6年で数人しかいませんでした。西医体は全学テニス部の数人と、日頃ほとんど組織立った練習をしていない人の混成チームで出場していました。当時西医体男子はシングルス6ダブルス3の計9ポイントで争われましたから、計算できる選手が2、3人で、その人たちも相手のエース級には必ずしも勝てないという布陣で勝ち進むのは難しく、部員が少ないため対戦相手と比べ応援も格段に寂しい中、ベスト8に残れない低迷が10年以上続いていました。

全学テニス部の医学生が少なかった理由として、当時全学体育会テニス部は週7日練習があり、しかも平日は医学部のカリキュラムと重なる15時からで、習得すべき情報量が増加し続ける医学部での学問、学生生活との両立が難しいことがありました。実際、これを理由に、チームの核になりうる高校でしっかりテニスをした人が全学テニス部で活躍せず、ラグビー部など医学部の別の種目のクラブに流れていました。

そこで、私たちは、医学部テニス部の低迷を脱するためには、名大以外の全ての総合大学の医学部がそうであったように、全学体育会テニス部の他に、医学部のカリキュラムとテニスとを両立できかつ真剣勝負を基本として通年活動する医学部テニス部も併設し、学生が自分の要望に合った方を選択できることが必要ではないかと考え、昭和59年、病院病理部の平林先生を部長、第一病理の中山先生を監督、同級生の谷口君を主将として同級生の西山君ら全学テニス部経験者を中心とした新医学部テニス部を発足させましいた。これが現在の名古屋大学医学部テニス部の実質的な始まりです。私の在学中は主将をさせていただいた翌年を含め、成績の低迷は相変わらずでしたが、部員数は年々増加し、短期間に部としての形が整いました。

私は、学生時代、岸本忠三先生(現大阪大総長)の免疫学、サイトカインの研究や<習う医学から創る医学へ>という思想に感銘を受け、指導を受けるために卒業後すぐ名古屋を離れました。それから13年経ち、最近、突然届きましたテニス部からの手紙にて名古屋大学医学部テニス部が常に西医体で優勝を伺う我々の在学中には考えられない強豪チームになっているのを知り、驚きました。しかも、部員の中には以前のように全学体育会テニス部のレギュラーとして活躍している人もいる(多分Mろさんのことだと思う)など全学との関係も保っているようで、ここまで発展させてきた後輩諸君に敬意を表するとともに、一部の先輩方のご懸念にもかかわらず行った医学部テニス部の発足がreasonableなことで、本学の学生諸君のpotentialを引き出したとすれば、当時のメンバーとしてこれ以上のことはありません。最後に、私自身は医学部テニス部時代、学問とテニスの両方を精一杯行うことができ、特にテニスからは、やった割には強くなれなかった失敗経験を含め多くを得ることができ、卒業後の進路の選択や他大学で厳しい師匠のもとで研究していく上で、少なからず役立ったように思います。医学部テニス部は強ければ強いほど部員全員にとり実りも多いと思います。今後も現在の名古屋大学医学部テニス部の黄金時代が維持され、さらに発展するよう現役の皆様の健闘を祈ります。
勉強になったのは、
1. 発足当初から、医学部テニス部は真剣勝負を基本として通年活動し、西医体での成績向上を目標としていたこと。
2. テニスをしたい医学生が自分の要望に合わせて選択できるように、全学テニス部、同好会以外の選択肢として発足したたこと。
3. 発足に先駆けて、一部の先輩方に懸念されていたこと。
4. 医学部テニス部が常に西医体で優勝を伺っていることは、先生の在学中には考えられないことで、先生はそれを驚き、喜んでおられること。
5. 先生は「医学部テニス部は強ければ強いほど部員全員にとり実りも多い」と思い、「黄金時代が維持され、さらに発展する」ことを祈っておられること。

実はオレも医歯薬反省会2001で落ち込んだ後で「オレはやはりテニス部にはいない方がよさそうだ。退部した方が部活的にも害が減るし、自分的にも気楽だ。むしろ新たにサークルを立ち上げて、自分のやりたいようにやろうかな」と考えていた。反省会でTじうちが言っていたように「テニスがしたいなら何も医学部テニス部じゃなくても、自分たちでコート取ってやればいい」のだから。長澤先生のときに全学テニス部、全学同好会以外の選択肢が必要だったように、今は医学部テニス部以外の選択肢が求められているのだ。Aきらさんはじめ、何人かの同級生も協力を約束してくれている。以前から父親にもそうすべきだとすすめられていた。今がその時だ。──でもオレは腰抜けだった。日和った。

今こうして涙が出てくるのは自分のふがいなさに対する憤りだろうか、それとも寛容だったテニス部に対する感謝だろうか? オレは医学部テニス部を飛び出して、自分の力で医学部テニスサークルを発足させる機会が持ちながら、動き出せなかった。しかしそれはオレが結局のところ小さな人間だったということではあるのだが、それ以上に医学部テニス部で仲良くなった人たちと決別したくなかったからだ。

もしあの時医学部テニス部を辞めて医学部サークルを発足させていたらどうなっていたのだろう? すぐ挫折していただろうか? 意外にうまく軌道に乗っていただろうか? 今の医学部テニス部員のうちの何人かはそっちに入ってくれていたのだろうか? ただいずれにしても今のオレがみんなと築いてきた関係や思い出がなくなっていることだけは確かだ。

オレのように一度反旗を翻しておきながら、飛び出すことさえできなかった小さな人間に対しても、テニス部は寛容だった。これはテニス部の持つ素晴らしさの1つだと思う。しかしそうやってテニス部に甘え、助けられたにもかかわらず、今なお内から変革を企んでいるこのオレのやっていることは、はたして正しいといえるのだろうか?