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中学校入学。Yシャツと学ラン。先輩と後輩。相変わらず「スポーツができるか否かが重要なステータスだった」なか、花はバスケ部、バレー部、野球部。サッカー部はなかった。あったら多分男の子はみんなサッカー部集中で他の部は存続の危機だったろうな。 でもってバレー部入部。バスケはいろんな意味で激しそうでビビってたし、野球は坊主にせなあかんし、小学校のときのマブダチも一緒だったし。バレー部の顧問はH田先生。入学当初のイメージは、ムースで決めた長い髪、前髪垂らして眼鏡の奥には鋭い目、ときたま冷ややかな笑みを浮かべるニヒルな国語教師。どこかかっこよくて、先輩にも慕われてた。まだ若いから中学生と考え方近いってのもあったし。 でもクールなだけじゃなかった。2年生のとき。先輩たちが試合で負けた。今回のはオレの責任だって言ってH田先生丸坊主。あ然。 そういえば1年生のとき。隣町にある高校のバレー部と合同練習があった。車で20分の距離を自転車で行ったんだけどね。高校生が中学生と練習してくれるんだからすごいコトだけど、1年生は見てるだけ。つまんなかったから悩んだ末、病院に行くと嘘ついて早退。ところがその日、交通事故があったとかで、H田先生心配して電話くれた。あいにく出たのは母親。嘘発覚。別に八百とかけたわけじゃないよ。翌日先生に呼び出されて言われた一言「お前相当の悪党だな」 この後もコトあるごとに悪党呼ばわりされたかどうかまでは覚えてない。 3年生になった。ようやくオレらの出番だ、って感じ。先輩いなくなって気分的にも、選手のポジション的にも楽になった。オレがやってたレフトってのはスパイク打つ係で定員2。そこを3人で争ってた。オレは身長生かしてけっこう打ててたんだけど、レシーブが下手くそうんこ。他の2人はどっちもうまいN川と、背は低いけどレシーブうまいS間。今でゆう西医体と医歯薬に当たる郡大会では、N川とオレがスタメンで、いっつも3位だった。ちなみにオレとN川は2人で副キャプテンもやってた。 あるとき成田空港周辺スポーツ大会ってゆう単発だけどデカイ試合があった。オレは用事があって出られなかったんだけど、そしたら準優勝しちゃった。そうか、オレなんかよりS間が出た方がいい成績取れるんだ、どうせオレはレシーブできないさ、オレやっぱりセンスないんだ…って落ち込んだよそりゃ。 またあるとき練習試合に負けてH田先生曰く「今回の負けは納得できない。明らかにお前ら気が抜けてた。こういうことはやりたくないけど仕方ない。今から全員のこと殴るぞ。ただお前らがそうなった責任はオレにもある。オレも責任取るから、悪いけど殴られてくれ」そう言うが早いか、上から塩化ビニルかなんかを貼りつけてあるとはいえ、コンクリートでできた体育館の床を15発くらい渾身の力を込めて殴った。そのあとで1人ずつ部員の頬を叩(はた)いていった。後で苦笑いしながらお互い顔を見合わせたけど、先生の熱意・真剣さは十分過ぎるほど伝わってきた。 背番号はポジションとうまい順で決まる。1はセッター、トス上げる人。例年キャプテン兼任。2はレフト、スパイク打つ人、破壊力重視。そしていわゆるエース。3はセンター、ブロックとかクイックスパイクとか機動力。4はライト、セッターの対角、レシーブうまい人、守備の要。5、6もレフト、センターだけど、2、3の方がうまいってこと。 最後の夏の大会前日のユニフォーム配付=背番号決定=選手の発表。なんと「2」 それまでずっとN川が2で、オレは5だったんだぜマジでびっくり。全然考えたことなかった。え、オレが?いいの?って。でも「大さんやったじゃーん」ってみんなに言われてそりゃもううれしかった。そう言われてみれば最近は練習がんばってたかな? 習慣だった「7時からの朝練への遅刻」もなくなって5分前には来て自主練してたもんな。そういうの先生が見て評価してくれたんかな。調子も悪くないしがんばるぞ! ところがDすけは小心者で本番に弱い。大会当日、試合前の練習はズタズタ。期待に応えようとがんばり過ぎて緊張しちゃったのかなぁ。結局ベンチ。最後の方で交代してサービスエース取ったりもしたけどさえんコトこの上なかった。 そして引退。高校受験に取り組むわけだけど、毎日のように部活に行った。着替えて行くこともあったし、制服で行くこともあったけど、1個下とは特に仲良かった(ちなみに1個上で親しかった先輩は1人だけ、2個下とはほとんど口きいたことなかった)こともあって毎日のように顔出してた。今思えばK猛さんとおんなじ。だから先輩の気持ちこれでもわかってるつもりです。 こうしてみると少なくとも中学校まではバリバリ体育会系だったんだなオレって。 |